5次元の世界はどうなっているのか? 宇宙はどんなふうに始まったのか? なぜものには重さがあるのか? 子どもの頃、誰もがそんな疑問を一度は持ったことがあるだろう。そんな“世界の秘密”を解き明かすのが素粒子物理学だ。
そして現在、素粒子物理学の世界では、これまで何も存在しない真空状態と考えられてきた宇宙空間にはヒッグス粒子と呼ばれる謎の物質に満ちていることが論理的には明らかになっている。これらの実在が実験で証明できれば、人類は神が生みだした世界の謎に大きく近づくことになる。ある意味で、これはアポロ11号の月面着陸よりも人類にとっては大きな一歩だ。なにしろ、「この世界が存在する理由」を解明するというのだから。
実は、人類はその扉を開く目の前まで来ている。それを実現する夢のプロジェクトの名を「リニアコライダー計画」という。
リニアコライダーとは、約40キロに及ぶ直線トンネルの中で光の速度まで加速された電子とその反物質である陽電子のビームを真っ正面から衝突させ、その素粒子反応を調べる世界最大の電子加速器である。極端に言えば、宇宙の始まり(ビッグバン)やブラックホールを人工的に生みだそうというのだ。
「この衝突によって、宇宙の始まりから1兆分の1秒の世界が再現されます。人類が長年抱き続けてきた“時空と宇宙の謎”を解く、歴史的な瞬間が目の前に迫っているのは間違いない」と東京大学素粒子研究センターで「リニアコライダー計画」の推進に携わる山下了助教授は言う。
リニアコライダーがつくられる場所は、世界で1カ所だけ。世界中に散らばる最高の頭脳を持った“アインシュタインの息子たち”が、その約束の地に集結する日を今か今かと心待ちにしているのだ。
「この施設が時空や物質、重さの起源を解き明かす切り札になるということは、世界中の素粒子物理学者の間で何年も前からコンセンサスが取れている。科学者の世界には2番手の施設は存在する意味がない。最高の基地が世界にひとつだけあればいい。あとは建設地をどこにするかという問題だけだ」と山下は言う。
日本もその候補地のひとつ。ライバルは米国とドイツだが、欧州にはすでにフランスとスイスの国境に現在世界最高の電子加速器をもつ研究施設CERN(欧州原子核研究機構)があり、米国はイリノイ州とカリフォルニア州が具体的な候補地としてあがっているが、宇宙開発に予算を使いすぎて実現に二の足を踏んでいる。次の研究施設はアジアにという気運は科学者達の間でも高まっている。
「現在、さまざまな分野で日本人の才能や技術が海外へ流出しているが、この施設ができれば、逆に世界中から日本に最高の頭脳と才能を持った学者や最先端のテクノロジーを持った民間企業が自然と集まることになる」と山下は言う。これがダム工事などよりもはるかに有益な先端産業の育成につながることは明らかだ。
このリニアコライダーの建造費がしめて約5000億円。山下助教授が在籍する素粒子センターの創設者であり、02年ノーベル賞を受賞した小柴昌俊東大名誉教授がニュートリノの観測に使用した素粒子観測装置「スーパーカミオカンデ」の建造費は約100億円。この建造費の違いからも、その巨大さがうかがえる。しかし、そこから得られる科学的、経済的成果の差はその金額の差以上に大きい。
リニアコライダーの建設で得られるのは、雇用拡大や地域の活性化などというみみっちいものにとどまらない。民間企業との協力によって得られる、超電導やナノテク分野の飛躍的な進化、超大容量・超高速データ通信を可能にする新しい通信技術、夢の第四世代光源ともいわれるX線レーザーの技術開発、さらには新物質・新エネルギー開発など、その波及効果ははかりしれない。そして、そこにはリニアコライダーを中心に、世界最高の知識と技術を誇る国際研究学園都市が誕生することになる。
日本はこのとてつもない“秘密基地”を自国に保有する権利を、手を挙げるだけで手中に収められる状況にありながら、足踏みしている。
その大きな原因の一つは日本の科学行政だ。政府が01年3月に閣議決定した五カ年計画『第二期科学技術基本計画』では「五十年の中で三十人のノーベル賞の受賞者を輩出する」とし、基礎研究の重要性を第一に掲げながら、研究の重点4分野としては、なぜかバイオ、IT、ナノテク、環境を掲げる矛盾を起こしている。素粒子物理学は基礎科学の中でも基礎中の基礎に位置づけられるが、ここに素粒子の文字はない。
現在の日本においては目先の実利に結びついた科学技術に対する予算はつきやすいが、その大元である基礎科学の大型プロジェクトに関してはプロジェクトを提案する入口すらないのが実状だ。
アメリカにはNASAがある。ヨーロッパにはCERNがある。世界の物理学の旗印となるリニアコライダーが日本に誕生し、人類の科学の歴史にその名を刻む日は来るのだろうか。(文・山下卓)
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