物理学者と素粒子好きのみなさんとの、ILC(リニアコライダー)にまつわる対話集。
好奇心のおもむくまま話はいろいろなことろに、飛んでいきます! はてさて、素粒子物理研究の一端をここで垣間見る見ることはできるのでしょうか?
▼はじめのごあいさつ
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広島大学准教授。スタンフォード線形加速器センターへて、広島大学へ。リニアコライダーでは「レーザーと電子ビーム」をキーワードに光子光子衝突や偏極陽電子源の開発を行っている。小学校のときは剣道場へ通い、中学・高校ではサッカー部だった。今でも週2回のスポーツジム通いは欠かさない。
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バレエ評論家。第4回・5回日本ダンス評論賞入賞。好きなものはバレエと猫。著書に『「星座」になった人 芥川龍之介次男・多加志の青春』(新潮社)がある。
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高エネルギー物理学実験を楽しんできたが、1年半前に KEKを定年退職して現在は名誉教授に。05年には木原元央氏と共著にて『リニアコライダー 素粒子の謎に挑む最強の加速器』(技術経済研究所)を刊行。
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カリフォルニア工科大学大学院に留学し、スタンフォード線形加速器センター、フェルミ研究所等で素粒子実験に携わる。ハーバード大学准教授、ハワイ大学教授を経て現在東北大学教授。ILCの物理と実験に関する国際組織のアジア代表を務めている。趣味は茶道、ピアノ、インラインスケートなど。
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2009年12月05日
皆様
「事業仕分け」が一通り終了しました。
この「国民の目線」から行われたという作業は
基礎科学に大きなダメージを与える結果となっています。
例えば、世界的な放射光施設である Spring8 は
半分ほどに削減され、
スーパーコンピュータは事実上廃止となったと聞きます。
放射光施設は物性物理学を中心にハイテク産業を
維持発展させて行くために欠かせないものです。
そして、スーパーコンピュータは、韓国や中国の追撃に
敗退してしまわないために
大きな役割を果たすはずでした。
日本の高エネルギー物理学に対しても
大きな削減を要求しています。
一方、国民の大半は「事業仕分け」を
大筋で支持しているようで、
また、政府の支出が収入の約 2 倍になるという
危機的な財政状況から
いったん「事業仕分け」で廃止/縮減となった事業が
復活するのは、よほどのことがないかぎり難しいと言われています。
「よほどのこと」とはなんなのか。
仙谷行政刷新担当相は、会議後の記者会見で、
「国民の納得が得られる説明」がなされれば、
復活の可能性もあると言っています。
なぜ基礎科学は大幅な削減の対象になったのか。
民主党は「コンクリートから人へ」というスローガンをかかげて
政治の根本的な改革を目指していますが、
どうも、基礎科学は「コンクリート」に入れられたようです。
将来の「ものづくり日本」を支えて行くのは
独創的なアイデアをだす「人」、
精密な作業をこなす「人」、
そして組織をまとめ、動かす「人」
であることは間違いありません。
でも、基礎科学は「コンクリート」ではありません。
たとえば高エネルギー研究所の加速器施設を見るとき、
直接見えるのは建物の壁かもしれませんが、
中には、世界トップレベルの科学者や技術者による
最先端の電磁場発生装置があり、
超高真空機器があり、
それらが、「我々はどこから来たのか」という
疑問に答えるために稼働しています。
そして、それらの科学技術は日進月歩。
それらの科学者や技術者が少しでも研究開発を怠れば
みるみる世界から取り残されて行きます。
本当に見えているのは
世界をリードする「人」です。
また、それらの施設が生み出す科学的成果は
日本の若者を刺激し、
「理科離れ」に対する大きな処方せんとなっています。
高エネルギー研究所の実験によって実証された小林・益川理論や
LHC、リニアコライダーでの研究対象となる南部の理論は
2008 年ノーベル賞につながりました。
それは日本の若者に大きな希望を与え、
私の大学でも物理学志願者が倍増しました。
基礎科学は将来の「ものづくり日本」を支える「人」をつくっています。
さらに、基礎科学は国際的です。
たとえば高エネルギー研究所は
年間約 6,000 人の研究者を受け入れていますが、
そのうち約 1,000 人は海外からです。
そのほか直接日本に来なくても、
共同研究として日本での実験に参加している研究者は
その何倍かいます。
それらの人々が「我々はどこから来たのか」という
ひとつの目的に向かって邁進しています。
会議はもちろん英語で、
家族ぐるみでの国際的おつきあいも少なくありません。
基礎科学は国際的な「人」をつくります。
ともすれば、
基礎科学は一般国民にその価値を理解してもらいにくい
巨大な財政赤字のときに
「子育て支援」や「高速道路無料化」と
「宇宙がヒッグスでみたされているかがわかる」を比べれば、
すぐ理解できる「子育て支援」や「高速道路無料化」をとるでしょう。
でも上に述べたように、
基礎科学は日本の未来を支える「人づくり」なのです。
山本 均 より
2009年10月03日
皆様
ロシアを訪れる旅行者や国際会議出席者に
直接見える部分は確かに随分良くなったようですが、
ロシア市民の実生活には、ブレジネフ時代の習慣が
残っているところがかなりあるようです。
今回の会議では空港までモスクワ国立大学から
美人事務員が迎えにきてくれ、
大学で会議登録等の手続きを丁寧に処理してくれました。
「なくさないように」と小さな紙切れを渡され、
見ると全部ロシア文字でチンプンカンプンです。
さて、宿舎に行く段階になって様相は変わってきます。
宿泊は一番安かった大学の宿舎にしました。
一泊 50 ユーロ。
一人の学生が宿舎まで案内してくれましたが、
スターリン時代に建てられたと思われる
巨大な建物の巨大な入り口のたくさんあるドアのひとつを入ると
金属枠のゲートがあって制服を来たガードが二人。
さきの紙切れを見せると手に取ってジッと見て
30 秒くらいで通してくれました。
学生についてどんどん進んで行くと広い中庭に出て、
先ほどのメインの建物のウィングに当る部分の入り口にまたゲートが。
ここも 30 秒くらいで通してくれてエレベーターに乗り 4 階へ。
ロビーのカウンターに 60 歳くらいのおばあさんがいて
学生となんやらしゃべった後
またあの紙切れをじっくり見てから部屋に案内してくれました。
寝室は個別ですが、蓋の壊れた水洗トイレと、方向調整の
できないシャワーは二人で共用です。
ここで学生とはお別れ。
会議場にひとりで戻ろうとするとこれが大変で、
再びメインの巨大な建物を通って行き、
ゲートで紙切れを見せながら進む事はもちろんですが、
その巨大な建物は東西と南北の対称性を持っていて
回りの様子からだけでは 4 箇所のうちどこにいるかがわかりません。
薄暗く、人もほとんどいません。
見た事のないゲートでパスポートを取り上げられそうになったりしながら
30 分ほどさまよったでしょうか。
若い学生風のグループを捕まえて事情を話すと
そのひとりが出口まで案内してくれて生還。
そして晩餐会の夜、帰ってきたのは午前 2 時頃。
なんとか唯一開いていた宿舎の入り口を見つけて
ゲートを通ってエレベーターに乗って 4 階まで行くと
エレベーターの戸は開いたけれど
鉄格子に鍵がかかっていて出られません。
ロビーのソファにはおばあさんが寝ているのが見えるので、
英語で入れてくれるように叫びましたが、
寝たまま手を上げて何かロシア語でさけんで
また毛布を頭からかぶります。
ロビーの反対側には階段があったので
一旦一階まで降りて 4 階までその階段を上ると
ロビーのドアは鍵がかかっています。
ブザーがあったので何回か鳴らしましたが、
おばあさんは来てくれません。
で、1 分程押し続けてやったらさすがに入れてくれました。
おばあさんはカンカンに怒っていて、怒鳴られながらですが、
ともかく寝床についたのが午前 3 時。
一般市民の生活を垣間見た気がしました。
山本 均 より
2009年09月03日
皆様
モスクワ国立大学での会議で
BELLE 実験の講演をしてきました。
ロモノゾフ会議という 18 世紀のロシアの科学者の
名前を冠した物理学会議で、
隔年で催され、今年で 14 回目。
一週間続くにもかかわらず、
途中の日の夜到着して、次の日に講演をし、
その次の朝には帰国という慌ただしい旅程でした。
それでも、講演の日の夕方には
主催の教授の自宅でのプライベートな夕食会に招待され
よい思い出となりました。
招待客は 12 人ほどで
日本人一人、フランス人一人、
残りがロシア人とイタリア人が半々くらいでしたか。
ほとんどが主催の教授の旧友とその身内ばかりです。
そんな夕食会に招待されたのには少々驚きました。
僕の講演のスケジュールは、
何度か変更する必要があったのですが、
講演の冒頭で会議の世話人の柔軟な対応に関して
丁寧に感謝したのが功を奏したのかもしれません。
家は森の中のれんが造り二階建ての豪邸で、
ロシアも豊かになったものだと感心しました。
大学からは車で 30 分ほどのところにあり、
家の近くは舗装されていない森の小道が続きます。
大学からはバスを貸し切って行ったのですが、
なんとそれが 80 人乗りくらいの大型バス。
注文したのは 20 人乗りだったので
バス会社に文句を言ったところ、
「 80 人乗りなら 20 人乗れるだろう、何が問題か」
と言ったとか。
なにかしらロシア的です。
ともかくこの大型バスに 10 人くらい乗り込んで
森の小道は、ゆっくり左右に揺られ
木の枝を折り倒しながら
目的地までたどり着きました。
夕食会ではイタリア人に囲まれ、
左は法律学研究員、右は素粒子実験の教授。
ともに女性で、
まわりの皆がイタリア語でわいわい話しているときに
機会を見つけては英語で割って入ります。
するとしばらくは、皆が英語で話してくれます。
会も中盤に入ってのってくると、
ロシア民謡のカチューシャや
イタリア民謡のサンタルチア等の大合唱。
僕もなんとか歌おうとしましたが
本場にはとてもかないません。
8 時半に始まった夕食会は午前 1 時過ぎまで続きました。
みなさんワインとウオッカのちゃんぽんをたっぷりいただき、
次の日は遠足の日だったから良かったようなものの、
これもロシア・スタイルなのかも知れません。
山本 均より
2009年08月20日
皆様
お盆休みに高校のクラスメイト 9 人で
高野山一泊二日の合宿がありました。
世話人は奈良女子大の文学部教授、
その息子さんも参加して全員で 10 名。
高野山で観光をして宿坊に泊まり
その夜はお互いにセミナーをし、
つぎの午前中また観光して帰るというプラン。
セミナーは障子の上に張った模造紙に
液晶プロジェクターで投影して行ったのですが、
画面の色が抜け落ちたり、全く反応がなかったり。
ケーブル内の接触不良とまでは判明したものの
この山の中、半分諦めていたら
なんと雲水さんが良いケーブルを貸してくれました。
最近はお寺も随分ハイテクになったものです。
奈良女教授による高野山の話のあと、
メインは僕の素粒子の話になりました。
アリストテレスの自然哲学から素粒子の標準理論まで
物理の発展は理論の統合の歴史だった
という話をしたのですが、
たくさん質問が出たのは
リニアコライダーの話になってから。
メンバーには NTT の研究所の所長さんや
大手保険会社の代表取締役常務に
ソニーのエンジニア、
そしてもう一人は最近日本に帰ってくるまで
シャープ・アメリカの社長さん。
みなさんなかなか鋭い。
「なぜ LHC は円形なのに ILC は線形なのか?」
「中性子は電荷がゼロなのにどうして反粒子があるのか?」
など、的を射た質問がバンバン飛び出します。
暗黒物質がそこにあるとわかっている一方
我々の知っている物質でありえないと聞いて、
NTT さんは「面白いなあ」と何度も唸り、
「それで六千億円は安いんとちゃうの」
とのコメント。
これには狂喜しました。
山本 均より
2009年05月20日
当時ハーバード周辺では
若手研究者の横のつながりが深く、
お互いにパーティーに呼んだり呼ばれたりはもちろん、
悩み事の相談をしたりもしていました。
今でもそうだと思います。
その時僕が付き合っていたガールフレンドも
同じグループに属していました。
その彼女とけんかをして、けんか別れの状態にあったとき、
Lisa が間を取り持ってくれたこともありました。
日本の大学に帰って来て周りを見回すと、
若手研究者同士の
人間関係が希薄なのが残念です。
最後に想い出をもうひとつ。
僕がハーバードに来ですぐのころ、
Lisa か僕かどちらが言い出したか覚えていませんが、
ボストンの寿司バーに行こうということになりました。
そのときヒラメの刺身を頼んだのですが、
薄い透明なひらひらの切り身が
ほぼ一重に並べられただけですから、
値段にくらべ随分物足りなく思ったようです。
注文に失敗したと決め込んだらしく、
「Hitoshi とスシバーにいったら
とんでもないものを食べさせられた」
といろんなところで触れ回っていたようです。
日本に会議で帰ったときなど、
知らない理論家からもその話を聞かされました。
山本均より
2009年05月13日
話が大分昔に戻りますが、
Lisaのことで最近思い出したことがあります。
物理では無敵のLisaですが、
人間的には、天才的物理学者のご多聞に漏れず
恥ずかしがりやで、人付き合いが苦手でした。
彼女自身も
「人間関係は不得手。だから極限スポーツなんかするんだ」
と言っていました。
『ワープする宇宙』にも
岩登りをしてけがをした話がでてきますが、
危険な場所でスキーをしたり、
インラインスケートで交通量の多いところを通勤したり。
心の底はとても優しいけれど
表面で突っ張るところがあります。
ほとんど男性ばかりの理論物理の世界で
女らしさを弱みとしまいと、
無理をしていたのかも知れません。
それが、ときに恥ずかしがりとして現れます。
そんなとき、
すぐに鼻の頭が赤くなります。
NHKの番組「未来への提言」のインタビューでも
少し鼻の頭を赤くしていましたが、
たぶん気がついた方もいるでしょう。
山本均より
2009年04月05日
葬儀では、
はたして黒いスーツを着たものか
五つ紋付を着たものか
迷っていました。
かっこいいのは、五つ紋付ですが、
お茶のためにリサイクルきものを買ったので、
家紋はそれについてきたもの。
自分の正しい家紋を知りもしませんでした。
弟に聞いてもわからずじまい。
唯一知っていそうな親戚の長老は
90 歳を超える高齢で足が悪く、
とても出席できそうにないと、たかを括り、
五つ紋付に傾いていました。
ところが、その長老が息子に付き添われて
はるばる関西から東京近郊までいらっしゃるとの事。
急遽その長老のおばさんに電話して聞けば
正しくは「丸に桔梗」、
すでにきものに付いているのは「丸に梅鉢」。
おばさん曰く
「そら天神さんやんか」
「やっぱりスーツで行くしかないかな」と言うと、
「ええんちゃうか、わからへんで」との返事。
「じゃ、おじさんには前もって謝っておいてください。」
と言うことで、間違った家紋で葬儀に出ました。
和服は僕一人でした。
参加者の一人によると
なかなか喪主らしく見えていたようです。
家紋は葬儀の後
付け替えてもらいました。
その後ウェブなどで調べてわかった事ですが、
家紋にはそれを統制する法律はありません。
それで、どんな家紋を使うかは
法律的には原則自由なようです。
親父の様に 9 人兄弟の末っ子ともなれば
慣習的にも代々の紋を使う必要はない。
江戸時代も人気歌舞伎俳優の紋を
使う人が多かったようですね。
山本均より
2009年03月20日
皆様
映画「おくりびと」が
米国アカデミー外国語部門賞を受賞しましたね。
日本映画として初の快挙です。
日本の ILC 測定器関係者は、ほぼ毎年、
3 人くらいで徒党を組んで、中国に乗り込んで
リニアコライダーの宣伝をしているのですが、
今年の 1 月にも北京の精華大学と高エネルギー研究所で
講演シリーズをやりました。
その往路の飛行機の中で「おくりびと」を見ました。
映画の最後で
本木雅彦演じる主人公が死んだ父親の髭をそって
記憶にある父親の顔を思い出すところなど
感動して涙も出てきたのですが、
物理学者としての考え方でしょうか、
「納棺の儀式も葬儀も生き残った者達の気休めではないか?」
と思いました。
死んだ本人はそれらの儀式は全く知らぬところで
要するに生き残った者たちの
自己満足に過ぎないのではないか、と。
それから一ヶ月たたないうちに
父が亡くなりました。
危篤の知らせを受け、新幹線で駆けつけ、
二日後に他界し、喪主として葬儀を行いました。
病室での父は
髭をぼうぼうとはやし、意識が殆どない状態で
苦しそうにあえいでいました。
アメリカに長年いたため、
父親の印象は僕が高校や大学の頃のもので、
その面影とはかけ離れたものでした。
父は二人の若い女性の納棺師によって
体を清められ、髭も剃られて
セレモニーホールの和室の布団の上に横たえられ、
家族や親戚が対面しました。
そして、さらに少々化粧をして
末期の水をとりました。
そのときの安らかな表情を見て
「僕の親父だ」と思ったのです。
「おくりびと」の最後の感動的な場面と全く同じでした。
その場にいた弟も同じように感じていたようでした。
いまでもこれらの儀式は
生き残った者たちのためのものだと思っています。
でも、それは単なる気休めじゃない。
家族や親戚の個々人が、旅立つ人の存在と記憶を通して
各々の間の関係を確認し合い
社会の中で機能して行くうえで
重要な役割を果たしていると実感したのです。
山本均より
2009年02月09日
皆様
高橋さんの「出張を楽にするには」のお話を読んでいて
思わず「そうそう」と微笑んでしまいました。
確かにスマートフォンは便利です。
たぶん僕も高橋さんと同じ種類のを持っているのでは。
ただ、それが発売されたときすぐには飛びつかず、
バグがある程度なくなるまで待ちました。
今では、絵文字も使え、
GPSも実際に使えるようになりました。
先日北京の高エネルギー研究所でGPSを使ってみたら、
どの建物にいるかまでぴったり表示されたのには
驚きました。
実は昨年まで手帳を使っていて、
ぱらぱらとページをめくれるあの手軽さは
とても電子手帳にはあり得ないと思っていましたが、
スマートフォンにとって代わられてしまいました。
2009 年の手帳は買ったものの
使わずじまいです。
鞄に関しては
とにかくブリーフケースの様な物を一つ持って、
どこにでもひっさげていく。
パスポート、電子辞書、計算機、銀行通帳、レーザー・ポインター、
印鑑、欧米用電源アダプター、イアフォンなど、
日々の大学でも、国内海外の出張でも、
一通り全部ついて回ります。
海外出張だからといって、
別の鞄に詰め替えたりしません。
そこにあるはずの物がそこにあると言うのは
大変な安心なんですね。
山本均より
2009年01月25日
皆様
オバマさんが合衆国の大統領に就任しましたね。
アメリカ合衆国には 23 年間住んでいましたが、
黒人が大統領になる日が自分の生きている間に
来るとは思いませんでした。
黒人の Collin Powel は国務長官まで上り詰めましたが、
大統領は別格です。
ただ、少しでもアフリカ系の血が入っていれば、
米国では黒人と見なされます。
オバマさんもケニア人の父と白人の母を持つ
「ハーフ」ですね。
タイガー・ウッズは半分タイ人、
解放運動の戦士マルコム X も半分白人です。
でも、ともかくアメリカの基準での黒人が大統領になった。
しかも全国民の熱狂を受けて。
これは素晴らしい。
それを見ながら「うらやましい」と思った
日本人も多いことでしょう。
どうして日本ではあの様に
「夢」と「希望」を与えてくれる指導者が出てきにくいのかと。
ではどうしてオバマの様な
国民の希望を背負った大統領が生まれたのでしょうか。
一つには大統領選挙のシステムがあります。
米国では 4 年に一度、1 年間かけて、
大統領選出のどんちゃん騒ぎをします。
そのために、大切な国内外の政治が
ほとんど停滞することもあります。
はたから見ると「なんでこんなばか騒ぎを」と
思うのですが、実はこのプロセスで
国民的英雄にふさわしい大統領を作り上げているのです。
いつもうまくいくとは限りませんが。
ニューハンプシャー州やアイオワ州は全米で最初に
民主党と共和党の候補の投票が行われますが
そこで「本命」以外の候補が好成績を得る事が多い。
そのような候補は突然全米の注目を浴びることになります。
それらの候補はその後マスコミの注目を浴びながら、
残りの選挙を生き残っていこうとします。
その候補の言動の一部始終が報道され、
世論が形成され、
有力な候補は全アメリカ合衆国を
味方につけていきます。
もちろん手ひどいネガティブ攻撃もあり
それを勝ち抜くことで候補が
どんどん成長して行くのが見えます。
本人の能力と経験が成長するだけでなく、
アメリカ合衆国国民の大統領として
育っていくのです。
もちろん大統領になる素質がありながら
そのような波に乗れなかった才能ある候補も
たくさんいる事でしょう。
でも、一年間世論とマスコミと対抗勢力に
揉まれて成長した候補は「本物」に
成長したのです。
日本のシステムとはやはり違いますね。
山本均より
2008年12月18日
皆様
12 月 13 日(土)の午後
仙台国際センターにおいて、東北大学の主催で
「ノーベル賞物理がわかるー小林・益川と南部の理論」
と題した市民講座がありました。
http://www.scienceweb.tohoku.ac.jp/html/003/005/005_081114.html
物理学部素粒子理論の教授の日笠健一さんと
実験側から僕がそれぞれ 45 分づつ
一般市民を対象に講演をしました。
参加者数はだいたい 150 人くらい。
約 6 割が学生、
約 4 割が一般市民でしょうか。
高校生も 10人 ほど来ていました。
地方新聞の「河北新報」に小さいながらも事前に載ったのが
かなり効いたようです。
その夜、茶道仲間の忘年会に出ましたが、
その場にいた主婦や学生、会社員などのうち、
約 3 分の 1 がその記事を読んでいました。
日笠さんは、ブラウン管の中の電子でも
宇宙の果ての電子でも
全く同じであることから説き始めて
ゲージ理論、ヒッグス機構など
難しい理念をわかりやすく説明してくれました。
僕は実験の立場から、
KEK B-ファクトリーや、ILCの話をしました。
もちろんこの往復書簡でも紹介した
益川さんとの個人的なやり取りなども交えて。
学生や会場のスタッフのかたなどの
講演後に聞いた感想から判断すると
B-ファクトリーの実験結果が、CP対称性の破れを意味する事は
なんとか説明できていたようです。
粒子反粒子反転と鏡反転を合わせたものを「CP反転」と呼びますが、
当初から「これさえ説明できれば」と思っていたので、
一応満足できる結果となりました。
この往復書簡でも、いつかその説明に
トライしてみたいと思っています。
山本 均より
2008年11月12日
皆様
日本人ノーベル物理学賞の話が
突然降って湧いた直前に戻りますが、
リサ・ランドールの「ワープする宇宙」で
科学的真実が犠牲になっていないという例を
具体的にお話ししたいと思います。
たとえば、超対称性理論 を説明するくだりです。
現在受け入れられている素粒子の理論
(標準理論と呼ばれています)には、
主人公役の ヒッグスという粒子 があります。
未だ見つかっていない仮想上の粒子ですが、
あるとすればその実質上の重さは判っている。
一般に素粒子の周りにはそれと反応する
他の素粒子の雲がまとわりついていて
見かけ上重くなっています。
重い毛皮のコートを来ている人の
実質上の体重が本人の裸の体重より
重くなるのと同じです。
ヒッグスの場合、その毛皮のコートの重さを計算してやると
なんと判っている実質の重さの百万倍の百万倍になるのです。
これは、十兆トンの毛皮のコートを着ている人の
コートを含めた全体の重さが
百キロであると言うのと同じで、
どう考えてもおかしい。
超対称性理論では、
既に知られている全ての粒子に対応して
それぞれ新しい粒子があると仮定します。
そしてそれらの新しい粒子による毛皮のコートが
いわば負の重さを持っていて、
先の毛皮のコートの重さを帳消ししてしまい、
つじつまが合うようになるのです。
ただ、僕自身以前から理解できなかったのですが、
新しい粒子は古い粒子とは違った反応をするはずで、
それがきれいに相殺するというのは、どうも理解できませんでした。
それが、「ワープする宇宙」では
図を使って見事に説明されていたのです。
まさか、「ワープする宇宙」を読んで解決するとは
思ってもいませんでした。
山本均より
2008年10月30日
The birth of the Kobayashi-Maskawa mechanism of CP violation
This is based on a chat I had with Prof. Maskawa
on Feb 9, 2001 (Fri).
Maskawa-san was about 5 years senior of Kobayashi-san.
Maskawa-san was a joshu at Nagoya which expired in 3 years
and then moved to Kyoto U. At about the same time,
Kobayashi-san was hired at Kyoto as a joshu also.
The quark mixing in weak interaction that Cabibbo introduced
in 1963 had been extended to a credible 4-quark theory
by Glashow, Iliopoulos, and Maiani in 1970. Since then,
many people had been working on 4-quark models.
The 4-th quark, charm, was not discovered yet. Maskawa-san
and Kobayashi-san were also working on 4-quark models,
but their focus was to explain the CP violation that had been
observed in the decay of neutral Kaon several years earlier.
QCD was not established yet, and if the strong interaction
violated SU(4), then CP violation could occur in 4-quark model.
The first correct choice was to assume that the strong
interaction did not contribute to CP violation, and that
CP violation would occur in the framework of the gauge theory
of weak and electromagnetic interactions. It then became
clear that there could be no CP violation in the 4-quark models.
The mode of operation was that Maskawa-san came up with
various models which Kobayashi-san would examine and kill.
Kabayashi-san was so able and also knowledgeable about
experimental constraints that most models were rejected
one after another.
It was clear that if the number of quarks were increased,
then there could be CP violation. However, it looked quite
adventurous to propose a 6 quark model when the 4th quark
had not even been found yet. At one night in the bath tab,
Maskawa-san was resigned that probably the point of the paper
should be that there would be no CP violation within 4-quark models.
Then, when he got up from the tab, he thought maybe they should
emphasize that there would be CP violation with 6-quark models.
A slight shift of focus. But it was not the only ingredient that led to
the discovery of so-called Kobayashi-Maskawa mechanism of
CP violation.
The quark mixing matrix, which is called
the Cabibbo-Kobayashi-Maskawa (CKM) matrix, is a product of
two unitary matrixes that diagonalize left-handed up-type quarks
and left-handed down-type quarks. The diagonalization is
performed by bi-unitary transformations where the unitary
transformations of right-handed quarks also participate
but do not get included in the CKM matrix.
Bi-unitary transformation was not too well known, but
Maskawa-san had studied the chiral transformation of pions
where each of two indexes transforms by a separate matrix.
He was thus well prepared to tackle the topic of quark mixing
matrix and figure out how a CP-violating complex phase
could sneak into the weak interaction of quarks.
On the other hand, Kobayashi-san was able to quickly figure out
what forms of interaction could and could not lead to the observed
CP violation. When it was combined with the mathematical ability
of Maskawa-san, the result was that the standard theory of
CP violation is now called the ‘Kobayashi-Maskawa mechanism.’
Yes, there existed good reasons why they were the first.
Hitoshi Yamamoto(Tohoku University)
2008年10月18日
皆様
2001 年の春、知り合いの理論家に招かれて
京都大学の基礎物理学研究所に短期滞在しました。
当時僕は物質・反物質対称性の破れに関する実験に
フルタイムで携わっていました。
その実験は小林・益川理論なくしてはあり得なかったものです。
その益川先生がすぐそこにいらっしゃるので、
お部屋にお邪魔して
小林・益川理論の誕生の裏話 を伺うことにしました。
たしか、
「クォークが 3 つしか見つかっていないときに
6 つのクォークを提案すると言うのは
随分大胆なように思いますが?」
と切り出したように覚えています。
1970 年頃、小林先生と益川先生は
物質・反物質対称性の破れを説明する理論を探していました。
当時は素粒子の標準理論はまだ赤ん坊の状態で、
いろんな提案のどれが正しくどれが間違っているのか、
混沌としていて、
いろんな可能性がありました。
ともかく標準理論の根幹となる部分を信じ、
4 つのクォークを仮定して
物質・反物質対称性の破れを説明しようとしました。
仕事のパターンは、
益川先生がいろんな理論的アイデアを出し、
小林先生が豊富な実験知識と理解力で
次々とそれらのアイデアをつぶしていったそうです。
そしてついに、
全ての可能性をつぶしてしまった。
落胆した益川さんは
お風呂につかりながら諦め気分で、
「4 つのクォークでは物質・反物質対称性の破れは起こらない
という論文にするしかないか。」
と考えていたそうです。
そして湯船から立ち上がったとき
「まてよ、6 つのクォークなら起こると提案しよう。」
と思いついた。
小林・益川論文では物質・反物質対称性の破れの理論として
いくつかの可能性を挙げたあと、確かに
6 クォーク理論を最も自然な理論として提案しています。
山本均より
2008年10月15日
皆様
僕は 1986 年から 4 年間シカゴ大学にいましたが、
その間 南部陽一郎先生 にいろいろお世話になりました。
赴任して間もない頃、
「一度うちにいらっしゃい。」
とご自宅に招かれたことがあります。
大学のすぐ近く、
シカゴ南部のハイドパークにある立派な家です。
玄関を入るととても広く暗い居間があり、
真ん中にゆったりしたソファセットが陣取っていて、
グランドピアノもありました。
先生はなにか用事があったらしく
しばらくそこで一人で待つことになりました。
待っている間に退屈したからでもありますが、
そこにあったグランドピアノをたまらなく弾いてみたくなり、
失礼を承知でピアノの鍵盤のふたをあけ、
その頃自分で練習をしていた
スコット・ジョップリン(Scott Joplin)の
「エンターテイナー」を弾き始めました。
映画「スティング(The Sting)」のテーマですね。
しばらくすると奥さんが現れて
「お上手ね。」
心中「随分ずうずうしい人だな」と
思っていらしたかもしれません。
間もなく南部先生が来て
「それはもっとゆっくり弾かなきゃ。」
と言われました。
「え?」というと
「聴いた事のあるのは、もっとゆっくりですよ。」
確かに初心者は、ラグタイムを速く弾きすぎる傾向があります。
スコット・ジョップリン自身が
「ラグタイムは決して速く弾いてはならない。」
と戒めていたのを思い出しました。
南部先生は口数も少なく、
まったく気取るところもなく、
一見音楽通という印象は受けないのですが、
「ラグタイムをかなり深く理解しておられる。」
と感銘を受けました。
山本均より
2008年09月17日
皆様
科学的真実を重視するという信念は
Lisaの書いたベストセラー 『 ワープする宇宙 』 にも
貫かれています。
『 ワープする宇宙 』 はもちろん
一般の人々に向けて書かれたもので、
奇異で難解な概念を
噛み砕くように、誰にでもわかるように、
いろんな身近な例を使って説明しています。
このような一般向けの科学書では、
とにかく読者にわかったつもりになってもらうために、
真実を曲げて簡略化して説明する事がよくあります。
でも、『 ワープする宇宙 』 では
科学的真実が犠牲になっていない。
だから専門家が読んでも得るところがある。
感銘を受けたので
その事を Lisa にメールで送ると、
『 喜んでくれてうれしい。
あの本には随分たくさんのことをつめこんだよ。 』
と返って来ました。
確かに、英語版で約 500 ページ。
全部読みましたが、2 週間ほどかかりました。
山本均より
2008年09月15日
天満様
天満さんの質問に答えて、
Lisa Randall ( リサ・ランドール )の話をしましょう。
Lisa と初めて話したのは
1990 年頃、僕がシカゴ大学の高等研究員として
物質反物質対称性の破れの実験をしていた頃です。
Lisa はハーバード・ジュニア・フェローという研究員で、
僕の実験に関連した理論計算をしていました。
ある国際会議のセッションのあと、
関係者が数人集まってその理論計算の誤差について
議論したことがあります。
僕はその議論の主導権をとっていた訳ではありませんでしたが、
ある粒子の崩壊で出てくる電子の偏極に関し
少しばかりコメントをしました。
すると Lisa が
「 これは、Hitoshi の言っている事が正しい。 」
とはっきり言ったのを覚えています。
話の雰囲気に惑わされず、科学的真実を
重んずることができる人間だなと思いました。
その後の経験からも、
学者としての Lisa について言えるのは、
彼女が確固たる科学的倫理観を持っているという事実です。
例えば、ハーバード大学の近くのカフェで
僕が教えていた「 場の量子論 」の講義について
Lisa と話していた時のことです。
ある粒子の崩壊の計算で
正確にいうと間違った反応形式を使ったのですが、
それについて僕が
「 実質的には全く同じだからいいか。 」
というと Lisa は
「 正直に認めなよ。 」
と言って、一笑にふされました。
学期はもう終わってしまっていたので、
生徒に「 訂正 」を示すことはできませんでしたが。
また、別の機会に
あの Weinberg との議論の内容も話したのですが、
「 Steven ( Weinberg ) は自分の非を認めるべきだ。 」
とスパッと言ってくれました。
山本均より
2008年07月24日
皆様
Lisa のことを書く前に、先日の 「英語と敬称」 についての
返信を書きました。
高橋さんがおっしゃっている 「英語と敬称」 は
僕自身ときどき考えさせられる問題です。
お互いよく知っている関係の場合、
米国では自分の指導教官でも first name で呼ぶのが普通でした。
僕の博士課程の指導教官は Barry Barish でしたが、
呼びかける時は “Barry” で、“Professor Barish” は考えられない。
一方、大学の講義で学生が初めて教授に質問をする際などは
たいてい Professor 誰々と呼んでいました。
ただ、呼びかける時ではなく、Barry が話の中に出てくる場合は
情況によります。
“Barry” といっても誰のことだか判らない人に話す際には
“Professor Barish” とでも言わないと、もちろん意味が通じない。
でも、Barry と言って意味が通じる場合は
ほとんどは first name の“Barry” を使います。
誰々さんと呼ぶ事は、英語で話していてもよくあります。
「Daniel-san」 のように対象が外国人でも。
日本文化を少しでも知っている外国人は、
「san」 が好きな人が多いようです。
丁寧であって親しみがある。
英語だと丁寧に呼ぼうとすると “Dr.” とか “Mr.” とかをつけます。
ですが、親しみを込める際は first name や
その簡略形 ( Charles が Charlie になるなど ) の呼び 捨てになり、
「さん」 のように、丁寧語的であり
しかも親近感がある呼び方が見あたらない。
ただ、 「san」 付けはもともと英語にはない物なので、
どのような場合に 「san」 付けにするかははっきりしません。
たとえば、Daniel のことを欧米はもちろん、日本以外のアジアの国で
英語で言うときには 「san」 は普通つけないですね。
でも、Daniel が日本で日本人と共にした仕事に触れる時などは、
アメリカでアメリカ人と話していても 「Daniel-san」 ということがある。
ただ、その場合は僕自身にとって自然でも、
相手のアメリカ人に怪訝な顔をされることがあります。難しいですね。
こういうのを文化のギャップというんでしょう。
そんな時のキーワードは、英語ですみませんが、 “Tolerance”(許容)です。
実際、tolerance は hate/discrimination の反対語となっています。
要するに、 「まあいいじゃないか」 といろんな言い方を受け入れる事です。
山本均より
2008年07月11日
僕が会ったノーベル賞学者たち:Sheldon Glashow
皆様
Sheldon Glashow のオフィスには、よく物理の話などを
しに行きました。また、昼食会等で同席する事も多く、
呼びかける時も first name の “Shelly”でした。
かなりの大男ですが、それを感じさせない
親しみやすさがある方です。
丸めがねのせいもあるでしょうが、
目がくりくりしていて、物理の話やいたずらっぽい事など、
自分が面白いと思う話になると、
その目がきらきらと輝くんですね。
その昔テキサスに出来るはずだった SSC
Superconducting Super Collider ( 超大型円形粒子加速器 ) 計画
というのがあって、
これは 2 千億円ほど出費した後に、
アメリカが勝手に廃止してしまったのですが、
そこに MIT の Samuel Chao Chung Ting が
ある測定器を提案し、
そのための研究グループが出来ていました。
ところが、Ting 教授は政治闘争に敗れて
グループを飛び出したのです。
話を聞いた Glashow は目をくりくり輝かせて、
「 この測定器はこれから “H” と呼ぼう。 」
というので、理由を聞くと
「 Ting のない物(Thing)だから。 」
“Thing” から “Ting” を除くと “h” が残るという訳です。
また、物理学部ではハーバードに限らず、
物性と素粒子はよく競合関係にあります。
物性物理は英語で “Condensed matter physics” と言いますが、
ここでも Glashow はいたずらっぽさを発揮し
「 奴らは “Condemned matter physicist” だ。 」
と言っていました。訳すれば
「 有罪判決を受けた物質の物理学者 」でしょうか。
こんな言葉の遊びの好きな人でした。
ちなみに、Shelly と奥さんはその後
仙台にも来たことがあり、
僕の新しいマンションの来客第一号となりました。
山本均より
2008年07月03日
僕が会ったノーベル賞学者たち:Steven Weinberg II
皆様
ハーバードでは 5 年間ほど
“Relativistic Quantum Mechanics” ( 相対論的量子力学 )
という大学院の講義を受け持っていました。
最初生徒数は 3 ~ 4 人でしたが、
5年間のうちに 20 人を超えるまでになりました。
で、講義録を本にしてほしいという要望が生徒や研究者からあり、
場の量子論の教科書を書くことになりました。
( ほぼ完成しました、もう少しです。 )
教科書を書くうえで非常に参考になったのが
Weinberg の“The Quantum Theory of Fields Vol. 1,2”Cambridge Press
( 場の量子論 )でした。
でも、一つ腑に落ちない事がありました。
ちょっと難しい話になって恐縮ですが、
粒子の場というのは、
いろんな運動量をもった粒子と反粒子を
生成したり消滅したりする演算子の寄せ集めで出来ています。
さて、この粒子の場に、
粒子と反粒子を入れ替える演算“C”を施してやると、
一般には、いろんな運動量をもった粒子と反粒子が
バラバラの位相で粒子-反粒子反転をするんですね。
それが、いろんな粒子の間の反応を考えてやって、
その反応が“C”を施してやっても
まったく変化しないと要求してやると、
このいろんな位相がきれいにそろう。
ところが、Weinberg の教科書では
そこがどうも短絡的になっているので、
僕が何か見落としているのかと思い、
直接 Weinberg にメールで聞きました。
それが、計 10 通くらいのやり取りになり、
興味がある他の理論家が CC してくれと頼み、
公開討論、と言うと大げさですが、
そんなものに発展しました。
結局、Weinberg の教科書では、
「 ある特定の反応を仮定するのは暗黙のうちの了解である。 」
という感じで、かなりうやむやに終わりました。
その後、ある講演会で Weinberg に会ったとき、
「 あの、問題、はっきり判りました。 」と言うと、
「 そうか、良かった、良かった。 」
と返ってきました。
興味のある方は、僕の教科書 8 章
http://www.awa.tohoku.ac.jp/~yhitoshi/particleweb/partic3.html
と比べてみてください。
山本均より
2008年06月30日
僕が会ったノーベル賞学者たち:Steven Weinburg I
皆様
さて、ハーバード でのノーベル賞素粒子論物理学者といえば
Steven Weinberg と Sheldon Glashow ですね。
弱い相互作用と電磁相互作用を統一し
現在「 標準理論 」と呼ばれているものの基礎を作りました。
僕が ハーバード にいたのは
助教授と准教授として1991年から 8 年間。
その間、Sheldon Glashow が教授として、ずっといました。
Steven Weinberg はテキサス大学オースティン校に
移ってしまっていましたが、
ハーバード客員教授として部屋も持っていて、
ときどき現れていました。
連中は理論、僕は実験で、建物も違いましたが、
理論で判らないことがあると
よく向こうに出向いて、連中を煩わせていました。
あるとき、Weinberg がたまたま来ていて、
お昼時に Weinberg と Glashow と 僕とあと 1 ~ 2 人で
ファカルティー・クラブ( Faculty Club ) に
行こうということになりました。
ファカルティー・クラブ は大学のレストランで
日本の大学のものとは比べ物にならないくらい高級です。
ネオ・クラシックな建物で
壁にいかめしい油絵がそこら中にかかっている部屋で
三ツ星クラスの料理が出ます。
となりが北米で唯一の Le Corbusier の建築と言われる
カーペンター視覚芸術センターというのも面白い。
そこでランチを食べながら
ポスト・モダーンとはなにかとか、議論しているうちに
宇宙の話になり、超対称性の話になりました。
で、「 超対称性理論を信じますか 」と聞いたのですが、
その答えをいまもはっきり覚えています。
「 自己矛盾のない理論は実在する 」
と言ったんですね。
で、どういう意味か問いただすと、
「 実際に自然を説明するかどうかは別にして実在する 」
と答えました。
さすがは理論家だなあと思いましたね。
自己矛盾のある理論は理論として成り立たない。
そして、自己矛盾のない理論を造るのは実に大変な事で、
理論家はそれに毎日四苦八苦する。
で、ともかく自己矛盾のない理論ができれば、それで万々歳。
理論は自立することになる。
だから、たとえその理論が、標準理論を超える理論にならなくても
宇宙のどこかにその理論が説明する
現象が存在するはずだと考えているようでした。
実は、Weinberg とは、その後一悶着あるのですが、
それは次回に…。
山本均より
2008年06月26日
天満様
日経サイエンスの記事
「 動き始めた国際リニアコライダー構想 」 は
SCIENTIFIC AMERICAN 誌の特別記事
“ Building the Next- Generation Collider”
の日本語訳ですが、
国際リニアコライダー設計チームの長である
Barry Barish に SCIENTIFIC AMERICAN 誌から
声がかかったのが 2006 年春頃、
その夏に Barry からドイツ人で加速器屋の Nicholas Walker と僕に
「 一緒に書かないか 」と言ってきました。
なぜ僕にお声がかかったかというと、
リニアコライダーの物理と測定器の国際組織
( World Wide Study と呼ばれている )の
アジア代表ということもありますが、
実は、 Barry は僕の博士課程の指導教官だったんですね。
そうして始まりましたが、
皆忙しいのでなかなか執筆が進まない。
僕の担当は主に測定器だったんですが、
記事をご覧になればわかるように、ほとんどが加速器の話です。
書く量が少ないとかえって始めにくいもので、
皆さんの足を引っ張っていました。
日経サイエンスは
SCIENTIFIC AMERICAN 誌の記事の日本語訳を核として
一応独自の編集をしている科学雑誌ですが、
「 リニアコライダーの話は面白い 」というので、
日経サイエンスにも載ることになりました。
それで、前回の怠惰の埋め合わせをすべく
しっかりと日本語訳の仕事をこなしました。
今年 5 月に出版されたとき、
Barry から声がかかってから 2 年近くが過ぎていました。
さて、ハーバード での Weinberg や
Glashow の話ですが、
長くなりましたので、
それは次の書簡で。
山本均より
2008年06月18日
皆様
こんにちは。
物理屋往復書簡に参加させていただく事になった
山本です。
このような形式は全く初めてなので
いろいろとぎこちないところもあるかと思いますが、
お手柔らかに、よろしくお願いします。
大学院から渡米し、20 年以上
カリフォルニア、イリノイ、マサチューセッツ、ハワイを
転々として、 7 年ほど前に日本(仙台)に帰って来ました。
これまで、ひと所にいた最長は
マサチューセッツ州ケンブリッジ市の 8 年ですが、
あと 1 年で、仙台が追い抜きます。
向こうでの話なども含めて
皆さんに楽しんでいただければ、と思います。
山本均より
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