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2009年03月20日

おくりびと

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皆様

映画「おくりびと」が
米国アカデミー外国語部門賞を受賞しましたね。
日本映画として初の快挙です。

日本の ILC 測定器関係者は、ほぼ毎年、
3 人くらいで徒党を組んで、中国に乗り込んで
リニアコライダーの宣伝をしているのですが、
今年の 1 月にも北京の精華大学と高エネルギー研究所で
講演シリーズをやりました。
その往路の飛行機の中で「おくりびと」を見ました。

映画の最後で
本木雅彦演じる主人公が死んだ父親の髭をそって
記憶にある父親の顔を思い出すところなど
感動して涙も出てきたのですが、
物理学者としての考え方でしょうか、
「納棺の儀式も葬儀も生き残った者達の気休めではないか?」
と思いました。
死んだ本人はそれらの儀式は全く知らぬところで
要するに生き残った者たちの
自己満足に過ぎないのではないか、と。

それから一ヶ月たたないうちに
父が亡くなりました。
危篤の知らせを受け、新幹線で駆けつけ、
二日後に他界し、喪主として葬儀を行いました。

病室での父は
髭をぼうぼうとはやし、意識が殆どない状態で
苦しそうにあえいでいました。
アメリカに長年いたため、
父親の印象は僕が高校や大学の頃のもので、
その面影とはかけ離れたものでした。

父は二人の若い女性の納棺師によって
体を清められ、髭も剃られて
セレモニーホールの和室の布団の上に横たえられ、
家族や親戚が対面しました。
そして、さらに少々化粧をして
末期の水をとりました。

そのときの安らかな表情を見て
「僕の親父だ」と思ったのです。
「おくりびと」の最後の感動的な場面と全く同じでした。
その場にいた弟も同じように感じていたようでした。

いまでもこれらの儀式は
生き残った者たちのためのものだと思っています。
でも、それは単なる気休めじゃない。
家族や親戚の個々人が、旅立つ人の存在と記憶を通して
各々の間の関係を確認し合い
社会の中で機能して行くうえで
重要な役割を果たしていると実感したのです。

山本均より

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